大豆田とわ子と三人の元夫、6月15日 10話で完結しましたね。
凄く良い最終回でした。
このドラマのなにがいいんだろうな、なんだかいいなと視聴してましたけど、武田双雲先生のクラブハウスを聴いているうち、このドラマの心地よさが説明できるようになりました。
それは今の時代に好まれる人と人との距離感で描かれているんですね。
登場人物がべったり密着しない、適度な距離で緩く繋がっている。
インターネット、SNSのような繋がり。
ふんわりしている。
これが昭和だと雨の中傘もささずに走り出して抱きしめて、もうどこにも行くなよとか言っちゃう。
平成だと、やっぱり家族っていいよね、かけがえないよね。
時々喧嘩もするけど、みんなずっと仲良くしようねという描き方。
大豆田とわ子の世界観は違う。
とわ子は元夫達を鬱陶しいと思ってはいるけど拒絶はしてない。
娘のうたとの関係も垂直というより水平っぽい繋がりだ。
結婚、離婚と繰り返したら振り回されて子供も思うところがあるかも知れないが、うたも母親の役割をとわ子に押し付けない。
ママはママの人生を生きたらいいよという姿勢。
三人の元夫同士の友情も、固い絆というよりももっとゆるっとした繋がり。
とわ子というハブを通じてゆるゆるとくっついている。
ライバル同士だけどいがみ合ってはない。
親友のかごめの死も淡々としていた。
どうして先に死んじゃうのよバカー、うわぁぁぁぁんみたいな描写はなかった。
もっと死を静かに受け入れ、じんわり消化しよう、かごめの分も生きようみたいな描き方。
セリフの中でも、独りでも生きていけるけど、独りは寂しい というのが出てくる。
そこが令和っぽい。
とわ子も9話で誰かに幸せにしてもらう事を選ばない。
独りで生きていくんだけど、緩く人と繋がって生きていく。
今後の結婚観とかもそういう世界観の生き様がじわじわ増えてゆくのではないか。
このリラックスして観れる感じが大豆田とわ子の一番の魅力だと感じました。
独立しているけど、孤立しない。
そんな風の時代の空気を映したドラマでした。
前作のカルテットも静かで淡々としてて大好きだったけど、大豆田とわ子は更に世界観をアップデートしましたね。
再放送があれば、未視聴の人は是非観てほしいです。