
内向型無視、外向型無視
人とのやり取りの中で、無視するという手段をとってしまったことありますか?
恐らく多くの人が、あると答えるのではないでしょうか。
この行為を深く考えてみました。
恐らく2種類あると思います。
内向型と外向型。
内向型は主に感情や要求の言語化の機能不全ですね。
なんて言ってよいかわからない。
相手を傷つける事は意識されていないかもしれません。
自分が言葉を投げてもその言葉で、こちらにとって不利益なリアクションを生むと予想されるとき、それを避ける目的で行う無視も内向型かもしれません。
外向型は無視という行為そのものがメッセージですね。
ホモサピエンスが社会性をもった動物故に機能する原始的な強いメッセージ、マウント行動でもあると思います。
自分が相手より優位と感じている場合に無視の行動を起こす事が多いと思います。
僕の気持ちを理解しないのならば、コミュニティーから君を排除するからね、仲間ではないからねという意味がある。
つまり、気持ちを汲むべきは相手のほうで、こちらではない、優劣を見せつけたいという心理の現われかも知れません。
怒りという感情は、感覚としては湧き上がってくるものですけど、その表現には目的があるという考え方もあるようです。
心理学者 アドルフ・アドラーも次のような事を述べています。
怒りと同様に、無視をするという攻撃行動をとった時、自分の中に達成したい目的があるかもしれない可能性を探ってみましょう。
そいういう解像度を持つと、よりよい手段はないか考え直せるかもしれません。
魔法を作る能力=言葉に換える能力
落合陽一さんは、21世紀は魔法の世紀と呼んでいます。
それでもそのツールを使いこなすことができるのだから、それは魔法と同じだという意味です。
科学の再魔法化と表現されてました。
21世紀はクリエイタークラスという、魔法を作る側の人間と、魔法を使うだけの人間に分かれていくと未来予想してます。
そこでキーになるのは、言語化能力だと言います。
物事を言葉に落とし込み論理的に整理する事ができる力=なにかをクリエイトする力というような事を本の中で仰ってました。
この事を聞いた時、サピエンスは言葉によって発展してきた生物だということを思い出し腑に落ちました。
言葉によって経験を交換したり、目的や手段を分解して考えたり(論理思考)、これの解決にはあれの概念を借りよう(抽象化)。
言葉がなかったらこんなに発展はできなかったでしょう。
無視という方法は原始社会の本能を持っている我々には時には有効な表現手段かも知れないですけど、それは古典手段、原始手段として認識し、なるべく封じてゆきたいです。
そして子供達には、感情や要求を言葉に変換して伝えるというと事を教育してゆきましょう。
クリエイタークラスの人間が増えて行く事は、よりよい社会をつくるという事でもあります。
無視され傷ついている人へ
つらいですよね、傷つきますね。
むきーーーー、きぃやーーーーー、うほうほ、ドンドコドコドコ、ドラミング。
そういう事をやっているのです。
21世紀人として、そういう感情も言語化してゆき、彼らと差別化してゆきましょう。
書きながら、自分が過去に犯した無視事案を反省しました。
ギャートルズでした本当。
言語化能力高めて新人類になります。
勿論、そうした方が良い無視があります。
SNSで誹謗中傷されたりだとかは、相手にせず無視した方がいいです。
しない方が良い無視は、所属するコミュニティー内での話です。
見ず知らずの人から議論吹っ掛けられたら無視が最適解。
彼らはマウントとりたいだけなので。
無視=暴力の一形態
無視=暴力の一形態という事を認識が広まると良いです。
内閣府のHPのDVの項目に、家庭内で口を利かないというのはDV行為として定義されています。
気持ちを汲んでくれなかった、察してくれなかったという事をきっかけに気軽にこの行動をとる人は少なくないですけど、少なくとも暴力という事を認識すべきです。
よくやってしまう人は気を付けて下さい。
各々が、良い言葉を選んで生産的な話し合いができるようになるといいですね。
今日はそんなことが頭を巡り言葉にしてみました。